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鹿鳴館の場所はどこ? [生活]

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かつて社交場として賑わっていた鹿鳴館をご存知でしょうか。
毎日のように鹿鳴館では政府高官や外国人を招いて、
宴会や舞踏会が開催されていました。




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毎日っていうのもすごいことですよね。
いまでいうパーティーが毎日開催されていたということです。
しかも鹿鳴館を作ったのは明治政府ですからね。
政府がこういう建物を作るというのも時代を感じます。

鹿鳴館の場所はどこ?

かつて賑わいを見せていた鹿鳴館ですが、
鹿鳴館の場所はどこにあるのでしょうか。
現在もあるなら見学とかしたいですよね。
きっと素晴らしい建物でしょうし。

しかし鹿鳴館は現在存在しません。
1940年には鹿鳴館の建物は取り壊されています。
少し残念ですね。

鹿鳴館の建物は取り壊されてしまったのでないのですが、
鹿鳴館跡地は現在もあります。
と言っても石版があるだけになってしまっています。

鹿鳴館があった場所は東京都千代田区内幸町です。
現在の住所で言うと鹿鳴館の場所は東京都千代田区内幸町1-1になります。
帝国ホテルとNBF日比谷ビルの辺りになります。

鹿鳴館跡地はの石版は帝国ホテルの南側とNBF日比谷ビルの北側の間にあります。
現在は鹿鳴館の建物はないのですが、
石版を見るとなんだか考えてしまいますよね。
少しさみしい気もしますがかつてはここで舞踏会などが、
華やかに開催されていたわけです。



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鹿鳴館を建設した理由

鹿鳴館が完成したのは1883年のことです。
当時日本に外国人の外交官を迎える建物がありませんでした。
それを危惧して鹿鳴館が建設されます。

鹿鳴館完成後は外交は鹿鳴館で行われたことから鹿鳴館外交とも呼ばれます。
当時の日本はまだ外国の文化を取り入れられていないと思われていたため、
鹿鳴館で洋風の宴会や舞踏会を行いアピールしたんです。

鹿鳴館にはバーやビリヤードも備え付けられていました。
一緒に楽しんで外交をうまくやろうという当時の政府の考えだったのでしょう。
仮装舞踏会なんかも開催されていましたからね。

鹿鳴館では舞踏会が開催されていたのですが、
ダンスを踊れる日本人はかなり少なかったようです。
なので芸妓さんや学生などダンスが踊れる人を呼んで盛り上げたみたいですよ。

この鹿鳴館の評判ですが、
外国人にはあまり評価は高くなかったようです。
やはり無理をしていたのがわかってしまったのでしょうか。
欧米文化にまだ馴染んでいなかったので、
マナーなどが追いつかなかったのが理由でしょう。

でも当時舞踏会とかを毎日のように開催されていたというのはすごいですよね。
現在なら若者が楽しむ場所はありますが、
明治の時代にやっていたんですからね。
それまで舞踏会でダンスとかは全くやったことがなかったはずです。
ドレスを着て靴を履いて踊るというのは、
かなり勇気が必要だったと思いますしどのような気持ちだったのでしょうか。

まとめ

鹿鳴館の場所についてでした。
鹿鳴館の建物は現在は存在しませんが、
鹿鳴館跡には石碑があります。

興味がある人は鹿鳴館跡に見に行ってみてはいかがでしょうか。
その場に行って当時のことを思い浮かべてみるのもいいのではないでしょうか。



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タグ:鹿鳴館
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